小人と蔵人のものがたり第六話【本物に流行り廃りはない】

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何が日本らしくて、
何が日本らしくないのか?

歴史の教科書から歴史を追いかけて議論しようが、
時代のどこかを切り取って、どっちかに偏って議論しようが、

そこに日本の真実、日本の本来の魂は存在しない。
それは現代人が自分の思い込みによって都合よく創り上げた
虚構の日本っぽい日本に過ぎない。

現代におけるケミカルな物質、
人の手を排除した効率的な工業的な醸造によって造られた日本酒は、
たしかに日本酒なのかもしれないが、それは法律で認められた日本酒であって、

我々は、法律による日本酒という定義に興味を一切持たない。

日本酒の神さまが
我々蔵人と菌の共演/饗宴によって
造り出した液体の細部に、
神の息吹を吹き込まない限り、
それを日本酒と認めない。

日本の世界観は「万物に神が宿る」
それが日本という国なのだ。
日本酒の神さまが宿っていない液体を、
日本酒と呼ぶ方が嘘になる。

我々は日本酒を造る蔵人として、
「日本酒」を造ってきた先代の蔵人たちと、
日本酒の神さまにだけは嘘をつきたくない。

我々の造る日本酒が、
ブームから遠ざかろうが、
美味しくないと言われようが、
マスコミや芸能人から目をつけられなかろうが、

そんなことは一切関係ないし悲しくもなんともない。
我々にとって一番悲しい事は、

日本酒の神さまにそっぽを向かれることなのだ。
我々が造ったその液体に神が宿らなければ、
それは日本酒ではない。
仏造って魂入れず。
味覚や人気だけの表面上の酒に、先はない。

流行り廃りとはよく言ったもので、
一時期流行ったところで、どうせ廃れる。

・本物に流行り廃りはない

我々は流行を追いかけない。
追いかけるのは日本酒を造ってきた先代達の背中であり、
その背中を追い越すだけ。

日本人性は日本の言葉だけに宿っている訳ではない。

この国中の空気中に宿っている。

融合はしても、決して迎合しない。

媚も売らなければ、胡麻も摺すらない。

ケミカルに工業的に造られた
その興業的な液体に、

日本酒の神さまが降りてこない、
魂の宿っていないその液体に、

世界をおもてなすだけのPowerが
宿っているとは思えない。

おもてなしとは、表も裏もない日本人特有の
真摯な対応の事だ。

はたして、合法かもしれないが、
そのケミカルで工業的な
日本酒の神さまの宿っていない
表面上だけの日本酒の裏は世界も
同胞達ももてなすことはできない。

表しかなくて裏を見せられない
日本の悪しき見て見ぬふり的文化を、
我々は日本酒造りに採用しない。

表も裏もない、真剣勝負の日本酒造り。
人だけではそれを可能にしないからこそ、
杜氏の腕と「見えない者達と対話し共同作業をする力」
が問われるのだ。